美しい人

美貌の人のことを考えるとき、わたしは『ドン・キホーテ』の中に出てくる挿話を思い出す。(急に出してしまうが、わたしは『ドン・キホーテ』が大好きなのだ)
ドン・キホーテ』第2部で、冒険の旅をするドン・キホーテとサンチョはある日ひとりの男の葬列と行き合う。その男は熱烈に愛した女に拒絶され死んだという。彼は詩を残していて、友人がその詩を読みあげる。自分がいかにその女性を愛していたか、その愛情に対してどんな冷たい仕打ちを受けたか、そして深く絶望したかを叙情的に綴っている(10ページ近くある)。参列者はその詩を聞いて涙する。
おもしろいのはそこからである。そこに、彼に愛されていた女性(たぶん生き霊的なもの)が現れるのである。その女性は絶世の美女。そして「つーか勝手に愛されても困るんですけど!?」と語るのだ。

「天はわたしを美しい女になさいました。 (中略)しかし、美しきがゆえに愛されている者が、愛されているがゆえに、自分を愛している相手を愛さねばならないという理屈にはどうにも合点がいきません、おまけに、美しきものを愛するのが醜い人間だということだって大いにありうることでしょう。そして醜きものは一般に嫌悪に値するわけですから、例えば『僕は君が美人だから君を愛す。僕は醜い男だが、君も僕を愛さなくてはならないよ』などという言い方はとてもおかしいと思います。たとえ双方が美しさにおいて対等であったとしても、それだからといって互いに同じような好意が芽生えるとは限りません。というのも、美しいものがすべて愛をかきたてるわけではなく、中には単に目を喜ばせるだけで心をとらえないといったものもあるからです。」
「今のわたしに備わっているこの美しさは、別にわたしが選んだものではないんです。つまり、わたしが望んだわけでもお願いしたわけでもないのに、神様が無償でこのような美しさをお与えくださったのだ、ということをご理解ください。」
「慎み深い女性の美しさというのは、いわば遠くの炎、あるいは鋭利な剣のようなもので、それに近づきさえしなければ、火傷することも怪我をすることもないのです。」
「わたしの拒絶にもかかわらず、あの人が望みのない執念を燃やし続け、風に逆らって無謀な航海を続けたあげく、みずからの狂恋の海原のただ中で溺死したところでなんの不思議がありましょう。」
すべてセルバンテスドン・キホーテ』(岩波文庫版・牛島信明訳)から引用

このように、その女性は自分が美しいからといって愛情を求められても困る、断ったのに諦めない方が悪い、ということを理路整然と語りまくり、風のように去っていくのだった。


この語りを読んで、「確かにね!!!」と妙に納得した。美しい人も、たまたま美しく生まれただけだ。それによって、多くの人から好かれても、自分のことを好いてくれる人を好きになる義理もない。愛した分だけ愛情を返せというのは理不尽な要求だ。経験がないので想像するしかないが、美貌の人は美しく生まれたせいで迷惑を被ることもあるのだと思う。そして自分の持っている美貌をどう使おうと本人の自由だ。
美貌のアイドルのことを考えると、心からこう思う。アイドルという職業を選んでくれて良かった!!!!!!と。
アイドルだったら、ファンはずっと気の済むまで眺めていても許される。ファンの範疇にいる限り、勝手にどんなに思いを募らせてもいいし、どんなに愛しているか言葉にして伝えてもいいのだ。なんなら向こうから「愛してまーす」と言ってくれる。なんて素晴らしいことなのだろう!!!
美しい人を見てると本当に幸せな気持ちになる。その幸せを提供してくれることを生業にしてくれることに感謝しかない。